▲母の手紙
目指していたというだけで、所属していたクラスは理系で、受験勉強は殆んどしていませんでした。
理系にいたのは、理系から文転は比較的容易なのに対し、文系から理転は困難だという理由からです。
今思えば優柔不断で、そんな気持ちでは志望校に合格できなかったのは当然だったと反省しています。
ところで、子供の頃、私は絵を描くことが好きで、四コマ漫画にも数回応募したことがあります。
自分では良い出来栄えだと思っていましたが、入選には程遠かったと思います。
それでも図画工作が得意で、水彩画では名古屋市から表彰されたこともあり、将来は芸術家か建築家を夢見ていました。
そんな絵描き少年が読書に興味を持ち始めたきっかけは、「十五少年漂流記」です。
小学生の頃、余った机やイスを積み上げてある場所が校庭の一角にあり、そこを基地にしてよく遊んでいました。
そういう遊びを通して冒険心を育んでいた私にとって、「十五少年漂流記」はとても刺激的で、引き込まれるように読んだ覚えがあります。 面白い本は、ページが進んで読み終えてしまうのを考えると寂しくなりますが、この本は私を初めてそんな気持ちにさせた本でした。
小学校高学年になって専ら読んでいた本はギリシャ神話です。
「星の会」という名古屋市科学館主催の会が毎月開催されていて、そこに毎回参加していたことがギリシャ神話に興味を持ったきっかけだと思います。
中学に入ってからは、北杜夫さんのどくとるマンボウシリーズ、星新一さんのショートショート、井上ひさしさん諸々、五木寛之氏の「青春の門」等々、当時のベストセラーを片っ端から読みました。
こうして思い返してみると、読んでいた本は、冒険や未来をテーマにしたものが多く、所謂純文学は殆んど読んでいないことに気付きました(笑)。
大学時代は京都にいたこともあり、歴史ものばかり読んでいて、特に新撰組に関する本は小説から研究本までいろいろ読みました。 ちなみに新撰組では、土方歳三と山南敬助が好きです。
豊丸産業に入社して数年経った頃、取引先の社長がPHP文庫を創刊からすべて読まれていて、それを聞いて自分も読破することを決意し、会社で定期購読を始めました。
仕事の傍ら、猛烈な勢いで暫く読んでいましたが、徐々に新刊の発行速度に追いつかれ、目標を断念し定期購読を中止しました。
社員にも読書を勧めるため、何年も食堂の本棚にPHP文庫本を数百冊並べていましたが、あまり読まれている形跡がなく、すべてブックオフ行きとなりました(笑)。
今までいろいろなジャンルの本を読んできましたが、最近は漱石や太宰等、純文学や古典の類を、恥ずかしながらこの歳になって初めて読み始めています。
その中で、心の中にスーッと入った本が、岡潔さんの「春宵十話」(角川ソフィア文庫)です。当時は随筆、今で言えばエッセイになると思います。
古い本で時代背景も違いますが、共感することが多く、心の中で頷きながら読みました。
最近では目が悪くなり、本を読むと肩が凝り、古い本だと漢字が読めず、海外文学だと登場人物の名前が覚えられず、読書は根気のいる趣味になってきましたが(笑)、これからも自分のペースで楽しんでいきたいと思います。
▲自宅の書斎の一部
たまたま中秋の名月と重なって、夜空が明る過ぎてそう見えただけでしょうか。
さて、何故、君は山に登るのか?
私の場合は、きっかけは中学時代の立山登山です。
汗をかきかき懸命に登り、登頂して雲海を見下ろす見たことがない世界。
そんな景色を初めて見て、非常に感動したことでスイッチが入りました(笑)。
それから高校の修学旅行で熊本城本丸の城壁を登り(あまり関係ないですが)、スキーに行った八方尾根では板を担いでケルンのある辺りまで歩いたり。
本格的には大学に入ってからで、以降、六甲山、比良山、五竜岳、木曽駒ケ岳、宝剣岳、北穂、奥穂、槍ヶ岳、燕岳、谷川岳等々に登りました。
その後、豊丸産業に入社してからは、新入社員登山研修と称して、赤岳や蓼科山には何度も登り、相当期間ブランクの後、この週末に八ヶ岳の天狗岳に初登頂しました。
新入社員登山研修の目的は、ひとつのチームで登頂を達成すること、その意義は体力や経験の違う仲間がお互いを支え合いながら目的に立ち向かうこと、そんな大義を掲げて実行してきました。
残念ながら、会社の構造改革で新卒採用は控えており、新入社員登山研修は中断しています。
会社の業績を復活させて、いつか再開したいと思っているので、体力が落ちないよう暫くは一人で楽しみたいと思います(笑)。
もちろん、自分の技量や体力に合わせ、怪我や事故に気をつけて、ぼちぼちやっていきたいと思います。
▲天狗岳より赤岳を眺める
▲私のトレーニングコース
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それは、前者の場合は導入店様に売上貢献できたと少し嬉しい気持ちになり、後者の場合は純粋に勝負に負けたと腹立たしくなるからなのでしょう。
いずれにしても、最近は負けてばかりで、自分の勝負弱さにがっかりしています(笑)。
さて、勝負といえば、金融商品への投資があります。
国も、貯蓄から投資へと、資産の移動促進に躍起になっているように感じます。
私も、金融の世界の勉強を目的に、少しかじる程度のことはやっています。
でも、この勝負は、なかなか素人では勝てません。
資金・情報・スピードという点で、組織で動く方が圧倒的に有利になりますからね。
そう考えると、将来を考えて貯金している財産を投資に回すことが本当に良いのだろうかと疑問に思います。
もちろん、元本以下には値が落ちない商品もありますが、私と同じようにハイリスク・ハイリターンに目が向いてしまう人も多いでしょうし。
景気高揚のための政策の一つとして投資を促すことは必要かもしれませんが、同時に正しく判断できる能力を養う必要がありそうです。
それがないと、さらに経済格差の拡大に繋がる可能性があるでしょうし、学校教育の一環として投資を学習に取り入れるのであれば猶更そう感じます。
]]>不思議な力が作用するのか、鍛え向かれたチームや選手同士の本気の戦いは、どんなスポーツでも必ずといっていいほど感動を生んできたように思います。
これは、スポーツの世界に限らず、ビジネスの世界でも同じだと思います。
私の経験だけでも、初めて観たカラーテレビ、磁気テープに代わって登場したコンパクトディスク、どんな車より速かった初代RX-7、初めて触れたインターネット等々。
挙げればキリがありませんが、今を本気で超えるには血の滲むような努力や知恵が必要でしょうが、実現した先には感動があります。
当社では、今期のスタートに当たり、理念体系図をまとめ、その中で「豊丸イズム」として「感動追求」を決めました。
会社は既に設立60年を過ぎましたが、今日に至るまでの軌跡を力に、お客様の感動に繋がるような製品やサービスを追求します。
そのために、さらに創意工夫を発揮し、たゆまぬ努力を続けます。
私は65歳。 10年以上続けてきたブログは、お彼岸の9月20日の更新を最後とし、残された自分の時間は社員と共に、創意工夫とたゆまぬ努力に注ぎます。
後一カ月。 拙い文章ですが、思ったことを素直な気持ちで記しますので、最後までお読みいただければ嬉しいです。
]]>運動を終えて家に戻り、汗まみれのTシャツを脱いで、火照った体に浴びせるシャワーの気持ちよさは格別です。
さて、夏季休暇の最終日、16日にコロナ禍、加えて大雨にも見舞われた中、二年ぶりに京都で「五山の送り火」が敢行されました。
当日の模様は、NHKBS放送でライブ中継されていましたので、ご覧になられた方も多いと思います。
私は京都に7年半住んでいたこともあり、何度か現地で見学しました。
休みで名古屋に戻っていても、高速道路がUターンラッシュで大渋滞する中、名古屋の友人を誘って、京都に舞い戻って見学しました。
当時は「五山の送り火」の意味や、「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」のそれぞれの点火の違い等、何の関心も持たず、ただボーっと眺めていました(苦笑)。
私が住んでいたのは「妙法」の近くでしたので、夜空に舞う火の粉と煙の幻想的な光景を、ただただボーっと眺めていました。
開催に至る準備等の解説を聞き、テレビでライブ中継を楽しむのは素晴らしいことですが、何も考えず現地で眺めているだけでも心が洗われた気がします。
そんなに長く京都に住んでいたのなら、一度くらい両親を連れて行けばよかったなあと後悔しています。
この歳になってようやく気付いているようでは、時すでに遅しですね。
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▲名古屋市役所写真(1933年竣工で国の重要文化財)
]]>会社から歩いて5分程度の場所にありますが、そんな短時間でも露出した肌に突き刺さる陽光が強烈なので、皆さんお昼食べに出掛けようという気になれないのかもしれません。
戻り梅雨が明けて、いよいよ本格的な夏の訪れですね。
本当なら、こんな日は蓼科にでも出向いて、リモートで仕事しながら空いた時間に山登りでもしたいところですが、そういう夢の生活はしばらくお預けです。
来週には、会社の四半期全体会議があり、今期スタートの振り返りと、この先9カ月の業務計画の確認をしなければなりません。
そんな訳で、もっぱら山登りは本を読みながら、想像の世界で楽しむことにしています(笑)。
実は、ここ数年の私の愛読書はヤマケイ文庫です。
今読んでいる本は、今田重太郎氏(1898年生誕、1993年没)が著され、穂高岳山荘創設50周年記念で出版された「穂高に生きるー50年の回想記」です。
氏は男6人、女5人の11人兄弟の三男で、岐阜県上宝村に生まれ、山の中で育ちました。
そんな環境でしたので、兄弟がそうであったように、自然と氏は山の案内人として生きることとなり、1923年25歳の時に奥穂高岳直下に、後に穂高岳山荘となる穂高小屋を築かれました。
当時はまだ山小屋が数少なく、登山隊は大人数で編成し、食糧は勿論、鍋釜や幕営装備等を背負子に括りつけ、重装備で登ったそうです。
それを省力化しようと、食事を提供するためにできたのが山小屋だそうです。今は清潔で美味しい食事が当たり前と思っていますが、こういう歴史を知ると大いに反省し、また感謝しなければと思います。
本著は、日本登山の黎明期から、井上靖氏の著作で登山ブームを巻き起こした「氷壁」の時代の話まで、時系列に槍・穂高の登山史が具体的に描かれています。
槍・穂高の地図を追いながら、この本を読んでいくと、現地の光景が頭に浮かんできて楽しいです。
▲穂高に生きる
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▲朝から暑い