一日は長し、一生は短し

2007.12.03

持つべきはいい先輩

 先日、僕の尊敬する先輩が、在籍する某奉仕団体で挨拶された。僕は所用があり、残念ながら当日の例会を欠席してしまったのだが、後で配布された報告書を読んで痛く感動した。

 その先輩が歩んできた人生の苦労は、噂ではいろいろ聞いてきた。今はご家族で介護事業をされているが、以前はスポーツ用品の量販店を経営していらした。スキー好きの僕も、ロシニョール全盛時代に、品薄な商品の確保で一度お世話になったことがある。

 ところが、その老舗のスポーツ店を忸怩たる思いの中で整理されることになり、その後、先輩の言葉を借りれば「沈黙の10年」「無役無冠の10年」を迎えることになる。その間の先輩の思いや如何なものであったか、これを表現するのに適当な言葉が見つからない。

 また、その間の出来事だと思うが、糖尿病で手足を失ったお母様の介護に奔走されることとなる。大変ご苦労をされたことと思うが、理解ある奥様と一緒に介護された事が、今の事業を始めるきっかけとなったそうである。

 そういう経験の中で、「義に照らし、道理を貫く」 ということを先輩は学ばれたそうである。高校・大学と柔道で名を馳せた先輩ならではの言葉であり、生ぬるい人生しか歩んでいない自分が、真から理解するには程遠いと思うが、自分なりに感銘する言葉である。

 先輩とは出身中学・高校・大学が同じで、なおかつ誕生日と干支まで一緒ということで、今まで大変親近感を覚えてきた。今回改めて先輩の挨拶を読んで、親近感が尊敬心に大きく変化する自分を感じている。自分が経験した苦労なんて、先輩の10年に比べたら大したことねえや。そんな風に自分を戒めながら、次から次へと襲い掛かってくる困難に立ち向かっていこうと思う。へっぽこ社長よ!進めえ~!!

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