一日は長し、一生は短し

2009.12.25

クリスマス

 早いもので、今年も残すところあと僅か。子沢山の我が家では、年を越す前に一大イベントがある。

 それはクリスマス。

 子供がまだ小さい頃は(今でも小さいのがいるけれど・・・笑)、いかにもサンタが書いたと思わせるようなクリスマスカードまで準備して、25日の朝はあっと驚かせたものである。

 最近は、子供も増えたこともあるし、仕事も忙しいし、それより体力・気力が伴わず、そういう演出をやるのが億劫になってしまい、直前に準備したプレゼントを置いておくだけにしている。

 それでも子供たちは、(若干1名中学生を除いて)前日にサンタに手紙まで書いて、手を合わせて希望のプレゼントが届くことを祈っている。

 さて、今日の中日新聞に、読者の投稿で、「赤い運動靴」という作文が寄せられていた。

 昭和30年のクリスマスの朝、欲しかった赤い靴がサンタから届かず悲しんでいる妹を想う兄の話。

 父が他界し、困窮した生活の中、悲しんでいる妹を見た兄は、仕事の帰りに赤い靴を求めて自転車で走り回り、その晩そっと眠っている妹の傍らに置いておいた。

 翌日の朝、その赤い靴を手にした妹が、空に向かって「ありがとう・・・」と言っている姿を見て、日ごろ、我慢と寂しい思いをさせていることに胸が痛んだ、という話だ。

 愛知県半田市に住む76歳の男性の寄稿文だが、その妹さんはすでに星になってしまったそうだが、この時期になると、質素な運動靴で喜び遊んでいた幼い妹さんを思い出すとのことである。

 それを読んで、胸がジーンと熱くなり、自分は小さい頃どうだったんだろうと思い返した。

 いつだったか、綺麗に包装されている本が、押入れに隠してあるのを発見し、クリスマスにそれを贈られた時、初めて手にしたフリをしたことを思い出した。

 紹介した作文の人とは大違いだが(笑)、クリスマスプレゼントというのは、物を贈ることではなく、心を贈ることだと改めて実感した。

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