いじめの構造
テレビの番組で「モニタリング」というのがある。
「モニタリング」とは、本来、コンピューターの性能評価を指す言葉だそうだが、この番組は人間観察の意味として使われている。
我が家では観たい番組を録画しておき、週末の食事の時間にみんなで観ることが多いが、この番組も最近までは我が家の人気番組だった。
ところが、小学生の息子は観ていて腹が立つと言う。
なぜなら、ターゲットとなっている人は、いじめにあっているのと同じだと言う。
確かに、番組制作者と出演タレントが一人の人間を騙して、その困った様子を視聴者が笑って楽しむという構造は、まさにいじめの構造と似ている。
ターゲットとされている人はいじめの被害者で、出演タレントがいじめの加害者。
そして番組の視聴者は見て見ぬフリをする傍観者という構造だ。
一般的にいじめ問題は、加害者も傍観者もさほど悪気がないのかもしれないが、いじめられている本人にとっては深刻な問題である。
そう思うと、いじめ問題が深刻な社会問題となっている現状、あまり趣味のいい番組とはいえず、そういう訳で、我が家では録画対象から外してしまったのである。