一日は長し、一生は短し

2021.05.25

Be given

私の母校は浄土宗に基づいた教育をする学校で、昼食時は食作法(じきさほう)を唱えてから弁当を食べなければなりませんでした。

「本当に生きんがために、今、この食をいただきます。与えられた天地の恵みに感謝いたします。」

級長の「食作法!」という号令とともに、上記を唱えてから一斉に食事にありつくというのが食作法です。

これは、我々が手にする衣食住のすべては勿論、毎日の時間、自分の一生も天から施されたものだという、浄土宗の思想に立ったものです(と思います)。

こういう思想からすれば何気なく過ごしている一日一日は、たまたま与えられた時間ということになり、映画ではありませんが「俺たちに明日はない」のかもしれません。
つまり、人生の残された時間を計算して生きていてはダメだということです。
明日にはないかもしれない今この時間。
そう考えますと、毎日がとても貴重に感じられ、ボーっと過ごしている訳にはいかないと思えます。
(ぐらい時間を大切にしたいです)

しかし、腹が減って早弁したことも多かったですが、そんな時はどんな気持ちで食作法を唱えていたのでしょう・・・?

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