一日は長し、一生は短し

2021.09.10

会社の履歴書⑤

1970年代前半に電動式ハンドルのパチンコ機が登場しましたが、一気にそちらに置き換わった訳ではなく、70年代は手打ちと電動が混在する時代でした。

私は玉を発射台に数発貯めて、ハンドルバーを下から手のひらで叩き上げ、開いたチューリップに玉を同時に数発入れる打ち方をしていたので、専ら手打ち式を好みました。

そんな酷い打ち方していると、時代が今なら出入り禁止になっていたかもしれませんね(笑)。

ところで、当時は、役モノは部品製作会社から既製品を仕入れて搭載していて、メーカーがカスタムで作ることは殆んどなかったと思います。

同じような役モノにチューリップやチャッカーを組み合わせ、連動の仕方をどう工夫するか、入賞球は10個か13個か15個か、それに合った釘配置をどう設計するかが、機械の良し悪しを決めていました。

どこのメーカーも同じようなデザインでしたが、当社は高級感を出すために、木枠の表面に薄い木目のメラミン化粧板を貼っていたようです。

また、電動式の登場で、パチンコ機への玉の補給スピードが要求されたことから、玉の循環装置のニーズが高まり、当社は「トヨライン」というブランドで参入したのもこの頃です。

さて、そんな先人の皆さんのご苦労も知らず、学生時代の私はパチンコに明け暮れ、生活必需品の殆んどを賄っていました。

ある時、仕送りもアルバイト代も使い切り、なけなしのお金でパチンコに挑み、何とか釣竿を獲得して食材とする魚を釣りに行ったこともあります。

そんな生活で勉強とは縁のなかった私でしたが、就職は家業のパチンコメーカーではなく、監査法人に就職して、今度はそろばんの玉をはじくことになりました。

オール15写真.jpg▲オール15

オール10写真.jpg▲オール10

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