一日は長し、一生は短し

2008.03.14

痛みに耐えて

 先月、僕のかつての大親友のお母さんが、股関節骨折で入院して手術を受けた。かつての大親友って? それは、彼はもうこの世に存在しないということだ。実はもう20年以上前になるが、一緒に山に行って、僕は生き残り、彼は死んだ。この話はいつかしようと思う。

 それで、そのお母さんは、ご主人にも先立たれ、もう何年も一人暮らしだ。僕は、親友の葬儀の時、彼が遂げられなかった人生の分まで一生懸命生きることを約束した。だから、彼の母に対しては、自分の母に対するのと同じ気持ちで接するようにしてきた。近くを通れば出来る限り家を覗くようにしてきた。

 そのお母さんももう80を過ぎ、趣味も木彫りや墨絵ということで、運動らしい運動もしていないことが原因だと思うが、階段を踏み外して転んだことで股関節を骨折してしまったらしい。骨折して立ち上がることも出来ず、エアコンや明かりもつけられないまま、冷え切った家の中で震えながら一晩過ごしたということだ。

 幸い、翌朝隣人が異常に気付いて、救急車で病院に担ぎ込んでくれたからよかったものの、誰にも気付かれなければ、世間で問題になっている「孤独死」に繋がっていた可能性もある。こんな風に、助けを求めても誰にも気付かれず、痛みと寂しさの中で亡くなっていく高齢者がいるのだな・・・と現実を感じた。(本当に寂しい世の中だな・・・)

 それで、入院してすぐ手術ということになり、無事成功したものの、その後には80過ぎのお年寄りにはあまりにも辛いリハビリが待っていた。痛みに耐えながらのリハビリに耐え切れず、もう一度歩くということを断念して車イスの生活を送ることになる高齢者が数多くいるということだ。

 そういう話を聞いていたこともあり、つい先日激励を目的にお見舞いに行ってきた。その時、たまたま彼のお母さんはリハビリの最中で、廊下で僕とバッタリ遭ってしまった。そういう姿を他人に見られるというのはあまり嬉しいことではないだろうとは思ったが、必死に立ち上がり歩こうとしている姿に僕はその場を離れることができず、「がんばって!がんばって!」と励ましながら、「無理しないで!無理しないで!」と逆のことも言っていた。

 そう長い時間ではなかったと思うが、僕は親友の母と自分の母とがダブって見え、恐らくそのお母さんは亡くなった息子と僕とがダブって見えたのか、お互いの目からは涙が溢れていた。気の利いた言葉も出ずしばしの時間を共にしたが、実の息子だったらもっと頻繁に励ましに来ているだろうなと、たまにしか来ないことを申し訳なく思いながら僕は病院を後にした。

 毎日の生活や仕事でうまくいかず、時々めげそうになることもあるが、親友の母が痛みに耐えながらがんばる姿を目の当たりにしたり、先日の名古屋女子マラソンを終えた後、負けた悔しさを堪え笑顔でインタビューに応じる高橋尚子選手を見たりすると、バチ~ン!とびんたを張られた気になる。

俺もまだまだアマちゃんだな・・・。

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