一日は長し、一生は短し

2008.06.09

秋葉原

 もう30年以上前になるが、僕は大学受験に失敗して東京で浪人生活を送っていた。今考えてみれば地元の予備校に通えば良かったのだが、一人で生活するという開放感に憧れてお茶の水にある駿台予備校に行っていた。

 東京で浪人生活を送るということで、母は初めて子供を外に出すことを心配して、鍋やら洗面器やらホウキやら(別に東京で買えばいいものばかりなんだけどね)を車に積んで、引越しの手伝いにやってきた。僕の下宿は4畳半の間借りで勿論クーラーはないので、扇風機を購入する為に一緒に秋葉原に行った。

 あっちがいくら安いとかこっちの方が安いとか言いながら、扇風機1台の為に電気街をウロウロ歩き回った思い出がある。騒々しい雰囲気や人の多さは今も変わらないが、きれいで大きなビルが増えた代わりに、最近は下町風情や人間臭さを感じる空気は希薄になってきたように感じる。

 そこへ一昨日の事件だ。たまたま当社の幹部が事件発生の時ぶらぶら歩いていたようで、彼の話によると、何十人もの人がこちらに疾走してきて、その後ろを警棒とピストルを持った警察官が追いかけてきたそうだ。最初はパフォーマンスか映画の撮影でもやっていると思ったらしいが、あまりの緊迫した状況で事件だと察したそうだ。当社の社員は約200名だが、そのうちの一人がこういう事件に遭遇するぐらい、この手の事件が増えてきているということだろうか。

 規制緩和が進んだという理由だけではないだろうが、最近の日本の風潮を見ていると、いろんなことが簡単にでき過ぎる時代になってしまったように思う。結婚、離婚、転職、借金、投資・・・・、そして殺人。そういうことって自由の代償なのだろうか?規制緩和や自由を否定するつもりは毛頭ないが、それを皆が謳歌しても社会がうまく機能するのは、常識やモラルがあるということが前提条件になると僕は思う。

 自由と気ままの分別もできないまま、自由や規制緩和が進んでいくとどんな不幸が待っているのか。秋葉原に始まる昨今の類似事件は、それを物語っているのではなかろうか。自由と規制緩和を推進する為に、同時に並行してやらなければならないことがあるように思う。(我慢とか、思いやりとか・・・)

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