一日は長し、一生は短し

2008.07.23

そうせい侯

 何年前だったか、GWの休みを利用して、友人二人と車の運転を交代しながら山口県の萩に釣りに行ったことがある。実際に釣りに行った場所は、萩からさらに船に乗り換えて2時間ほど行った沖にある「見島(みしま)」という小さな島だ。

 GWということで、見島への帰省客も多く、またお祭りをやっていたこともあり、島中大賑わいで大変楽しい時間を過ごすことができた。祭りでは釣りのメッカらしく、水を張ったたらいに入れられ、バシャバシャ飛び跳ねている1メートル大のブリも売っていた。(どうやって持って帰るのかな・・・)

 萩に到着して見島へ渡る船の出発までちょっと時間があったので、3人で萩の町をブラブラ歩いてみた。僕は日本の歴史で言えば幕末が一番好きで、短い時間ではあったがわくわくしながら、明倫館跡や木戸孝充邸等を見て歩いた。時間の都合上、松下村塾に行けなかったのは大変残念であるが・・・。

 さて、この山口県つまり長州藩は、吉田松陰や高杉晋作、木戸孝充に伊藤博文等多くの人物を輩出し、明治維新実現の原動力となったことで有名だ。ところが今挙げたような人物の名前は誰でも知っているが、当時長州藩を治めていた藩主の名前はあまり知られていない。実は僕が知ったのも最近読んだ雑誌を通してである。

 その人こそ、毛利敬親(たかちか)という殿様で、別名「そうせい侯」という。なんで「そうせい侯」と呼ばれていたか?それは、家臣が提言することに対し、必ず「うん、そうせい」と答えていたからだそうだ。強力なリーダーシップを発揮して家臣をグイグイ引っ張っていくタイプではなく、身分にこだわりなく優秀な家臣を重用し、その意見を積極的に取り入れていく、情愛深い優しい殿様だったそうだ。

 やる気のある者の意見を聞きすべて任せる。任せたら最後まで任せてじっと待つ。そして成功したら自分のことのように喜ぶ。要は、人を育てる天才だったと言われている。中でも一際目を掛けていた吉田松陰が安政の大獄で処刑された後、その命日には一切魚は食べなかったそうだ。 

 「そうせい、そうせい。」と言っているだけでは物事はうまく回らないかもしれないが、時流を読んでの定見の欠如は、ある面幕末のような乱世では必要だったのかもしれない。パチンコ業界も一寸先はわからない、まさに戦国時代だ。わからないなら、いっそ「そうせい、そうせい」もありかもしれない。

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