一日は長し、一生は短し

2008.08.01

「過」は「あやまち」のもと

 我が社では、社員の行動規範のひとつに、「相互扶助の精神」を定めている。僕の好きなラグビーの基本精神である「ONE FOR ALL、ALL FOR ONE」や、尊敬する安岡正篤先生の「一燈照隅、万燈照国」という考え方と本質的に同じだ。

 僕らは小さい頃、親の喜ぶ顔が見たいとか、友達が苦しんでいる時に助けてあげたいとか(そんな動機からだったのだろうが)、知らず知らずのうちにそれを実現すべく行動していたことが多かったように思う。

 また、逆に悪さをして先生に叱られた時、「お母さんが悲しむぞ!」とか「○○さんが困っている」なんて言われると、胸が締め付けられる思いがして、自分の行為を反省したものだ。要は、他人の心のうちを敏感に感じ取って、無意識のうちに行動したり反省したりしていた訳だ。

 ところが、最近はいろいろな意味で自由化が進んだり、何より先に個人の権利が主張されたりという社会の傾向のせいか、「自己本位」的な考え方が主流になっているように感じる。今でこそ、それに批判的な声も多いが、ちょっと前までは、社会もそれを容認(歓迎?)していたようにも感じる。

 でも、人間って、特に日本人って、経済的に豊かな人が他者の貧なることを望むかというとそういう人は少ないだろうし、競争して負かした相手に対しては、自然と手を差し伸べるような気質のある国民性を持っていると思う。

 ただ、無秩序な自由化や過度な権利保護という現代の風潮が、このような気質を押し殺しているのだと思う。自分の子供達の学校での話を聞いたり、毎日のようにマスコミを賑わす事件を見ていて、最近は特にそういうことを感じる。

 豊丸産業は、「相互扶助の精神」を大切にしながら、世の中の一照となって、そういう社会の風潮を改善していくことに貢献できればと思う。
 

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