一日は長し、一生は短し

2008.08.21

裁判員制度

 来年5月の裁判員制度の実施を控え、最近マスコミは、会社員が裁判員として務める期間の就業の取り扱い上の問題等、制度運用上の具体的な問題を取り上げる機会が増えたように感じる。

 それでも、世間では 「まさか自分が選ばれることはないだろう」 という気持ちからだろうか、今ひとつ本制度が浸透していないように思う。また、適用が殺人等重大事件に限定されるようなので、年間に行われる当該裁判がどれくらいあるのかわからないが、事件の数から想定して自分が選ばれる可能性は極めて低いであろうことから関心が薄くなっているのかもしれない。

 また、法学者、特に刑法学者の間では、5月実施は時期尚早で、もっと議論を尽くして運用方法を見直すべきだという反対意見も根強いようだ。そもそも日本人は、謙虚さを美徳とする所があり、自分の意志をはっきりさせるのが苦手な人が多いと思うので、人の罪を決めるという意味では、僕は裁判員制度は日本の社会には向かないと思う。

 それより、不条理な殺人等の刑事事件を減らして、住みよい社会を創っていくために、国民に何らかの義務を課していく方がいいのではないかと思う。朝の通学の時間帯に、黄色い旗を持った父兄の皆さんが、生徒の安全な登校の為に交替で当番に出ているが、そういう活動をもっと広げるべきではないだろうか。

 年々増えていく凶悪事件を、裁判でどんどん裁いていくことも必要だが、あまりにも後追い的な対策である。それより、事件が起こる入口をできる限り小さくしていくことの方が大事だと思う。日本人が永年培ってきた相互扶助の精神を発揮できる仕組みを作っていけば、安全で安心して暮らせる社会の実現は可能だと思う。

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