現代の八田與一(よいち)
ある会合での挨拶で、先日アフガニスタンで凶弾に倒れた伊藤和也さんについての話があった。僕は知らなかったが、アヘンの80%以上がアフガニスタンで栽培されており、「ペシャワール会」が同国の子供達の未来を憂い、同会の活動の一環として農業の普及に努めてきたそうだ。
伊藤和也さんはその主旨に賛同し、「アフガニスタンの子供達が将来食料で困らないように、麻薬より米を」という志を持って、今では中心的な存在として、地域の方たちと一緒になって農業を促進していたようだ。今日の話は、そういった行動を、大正から昭和初めにかけて台湾での農業用水の建設に尽力した「八田與一」に例えたものだった。
某アニメ制作会社が、「八田與一」をテーマにした劇場映画を製作するということで、その社長から彼が如何に偉大な人物か懇々と説明を受けていたので、僕の頭の中にその名前が残っていた。「八田與一」という人は、日本統治下の時代に台湾に渡り、不毛の地に当時アジア一と言われた烏山頭ダムを建設し、そこから引く農業用水で、その不毛の地を台湾一の穀倉地帯に変えた男である。
その後、太平洋戦争真っ只中に、陸軍に徴兵されフィリピンに向かう途中、乗っていた船がアメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈没し、この世を去ることになる。しかしながら、彼の功績は台湾の人々にとって偉大で、今でも最も愛されている日本人だそうだ。
伊藤和也さんにも相通ずるところがあるのではなかろうか。二人の共通点は、「悪い状況を看過できない」とか「何とかしてあげたい」という気持ちの元に行動しているということだ。なんと気高くそして清い精神であろう。激しい戦火を乗り越えて復興を目指しているアフガニスタンに、一歩足を踏み入れたことによって、彼に宿っている「武士道精神」がメラメラと燃え盛ってきたのではなかろうか。
伊藤さんの遺志が、しっかりとアフガニスタンに根を下ろし、ケシ畑が米や野菜の農地に変わり、国民が安心して生活できる国に変わることを心から祈りたい。そして、何十年か先に、伊藤さんがアフガニスタンの八田與一と評されることを期待してご冥福をお祈りしたい。