一日は長し、一生は短し

2009.01.17

使える言葉と知ってる言葉

 僕は立場上、人前で話をしたり文章を作ったりする機会が多く、そういう時は言葉の使い方に大変慎重になる。

 ボキャブラリーが多いとか少ないとか表現するが、そういう意味では読書好きな自分は少ない方ではないと思う。しかしながら、その言葉の意味を十分理解しているかと問われると、ちょっと自信がない。

 文筆業だとか、新聞記者だとか、大学教授だとか、文章を書いたり大勢の人の前で話をしたりすることが専門の人は別にして、多くの人は僕と同じようなレベルではないだろうか。

 つまり、言葉は知っているが、ぼんやり理解しているだけで、使える言葉にできていない、というレベルだ。こういうレベルでは、知ったかぶりをして使った言葉の意味が違っていて、赤っ恥をかいたりする。

 これは、言葉だけではなく、知識や技術でも同じことが言える。知っている知識と使える知識は違う。知識を本当にものにしようと思えば、知っている知識を使える知識に変える努力をしなければならないだろう。

 さらに、使える知識や技術には限界がないだけに、そうする為の努力は並大抵ではない。努力に努力を重ね、真に自分のものにできた人がほんもののプロなんだろう。自分の身近な所にも、何人もいいお手本がいる。一歩でもそういう人に近づきたいものである。

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