一日は長し、一生は短し

2009.01.19

あれから14年・・・

 先週の土曜日、つまり1月17日は阪神淡路大震災が発生した日だが、今年で14年経つそうだ。未明に発生した地震で、僕は自宅のベッドの上で、小さいけれど重い揺れを感じた。名古屋でそう感じるぐらいだから、震源に近い地域は揺れるというより、振り回されるような感じだったのではないだろうか。

 地震が発生して一ヶ月後ぐらいだっただろうか、僕は見舞い品を持って兵庫県遊協(パチンコホールの組合)と協力会社を回った。交通事情が悪く、三の宮には歩いて入っていく方が早いと聞いたので、確かポートアイランドからハーバーランドまで船で移動し、そこから歩いていったように記憶している。

 ポートアイランドのビル群は、外見に異常はないが、液状化現象のせいであちこち泥が浮いた状態で、歩くのに結構苦労した。ハーバーランドから三の宮までは、崩壊している建物が目立ち、特に三の宮の飲み屋街のビルは完全に崩れているものが目立った。僕が数度足を運んで年賀状のやり取りをしていたBARもつぶれていて、その後送った年賀状には未だ返信がない。

 この震災で約6000人の人が亡くなったが、うち親を亡くした子供たちが600人近くいるそうだ。そういう子供たちの心をケアし、自立していく為の支援を目的に建てられたのが、神戸レインボーハウスである。また、この神戸レインボーハウスを運営しているのが、「あしなが育英会」である。

 僕は一人のあしながさんとして、ここ数年小額であるが毎月「あしなが育英会」に寄付している。僕は四人の子供に恵まれたが、もしも自分の子供たちが親を亡くしたら・・・と想像すると、その気持ちの辛さは計り知れない。自分の子供をそういう状態にしている、亡くなった親の気持ちを想うともっと辛い。

 そういう訳で、一人の力でどうにかできる問題ではないが、そういう子供たちに対して、心を支える力の一助となればと思い続けている。いい社会を作って行くという事は、ひとつは健康な精神を持った子供たちを育てていくことだと思う。パチンコも戦後の疲弊した国民の心の安らぎの場であったのではなかろうかと、改めて考えさせられる。

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