一日は長し、一生は短し

2009.07.29

京都

 僕は大学で4年間、社会人として3年半、京都で気ままな生活を送っていた。学生時代は、北大路通りを少し北に入った高野というところに、勤めてからは国際会議場の近くの岩倉というところに住んでいた。

 京都に長く住んでいたので、「寺社仏閣はよくご存知でしょう?」とか「御茶屋さんは詳しいのでは?」と聞かれるが、お寺や神社には興味がなかったし、飲むといったら居酒屋(岩倉の無法松ってまだあるかなあ・・・)と決まっていたので、とてもじゃないが縁がなかった。

 それでも歴史小説は好きだったので、史跡は時々尋ね歩いた。特に幕末については、佐幕派であろうが尊皇攘夷派であろうが、命がけで行動している志士たちに惹かれ、いろいろ本を読んだ。

 壬生も行ったし、池田屋跡も何度も尋ねたし、寺田屋に行っては柱の刀傷を手で何度も撫でてみたし、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓も訪ねたし、勉強もせず暇だったのか、あちこち歩いていたように思う。

 なんで今日そんな思い出に浸ることになったのかと言うと、つい最近昔の荷物を整理していて、当時書いていた小説や詩や川柳などが出てきたからだ。

 僕の大親友が、シナリオライターを目指して、大学を休学して東京に向かう時に、別れの杯を交わして贈った和歌と川柳が出てきた。

    囃子音(はやしね)を かすめて通らむ 池田屋の あの若き志士も 今行く君も

    宵山(よいやま)も いよいよ山で 酔いやまず

 今より文筆のセンスがあるように思うが、どうなんだろうね・・・。

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