当たり前という病気
先週末、名古屋市内にある老舗高級料亭「八勝館」での社員の結婚式に出席した。地下鉄「八事駅」から歩いてすぐという便利な場所にある、名古屋でも一二を争う超高級料亭だ。
そんな高級料亭なので、自分にとっては敷居が高く、今回が初めての訪問だった。そんなこともあって、あまりの広さに入り口がわからず、勝手口の中に入ってしまった(笑)。
主賓という立場での出席にも拘わらず、この緊張感の無さ。新郎である社員には申し訳ないけど、ちょっと情けないね・・・。
これまで幾度となく社員の結婚式には出席し、その都度スピーチをさせていただいているが、僕のモットーはスピーチの使い回しはしないということ。
誠心誠意、心を込めて、新しい夫婦の幸福へのスタートを願う。自分は豊丸産業社員全員の気持ちとして伝えるのだ!と、気合を入れてスピーチに臨む。
大げさな・・・と思われるかもしれないが、なんでそんなに気合を入れなきゃいけないかというと、実は自分は人前で話すことが苦手な上がり症なのだ。だから、それを打ち消すために気合を入れる。
それでも、何度もスピーチをやっていると段々慣れてきて、緊張感が欠けるようになってきたのも事実だ。(今回がそうだということではないので誤解無きよう)
しかし、これが要注意だ。当たり前に感じるようになると、油断して大失態を演ずることになりかねない。
結婚式のスピーチに限らず、嬉しいことも悲しいことも、それを繰り返すことで鈍感になってくることは多々あるのではなかろうか。
給料を初めて貰った時の喜び。苦しい時に手を差し伸べてくれた時の嬉しさ。思い切って告白した時に、うんと言ってくれた時の感動等々。
日々の感動や、時には痛みが、当たり前に感じるようになってしまうこと。これは危険だ。その後の人生をつまらないものにし、一気に精神的な老化を進めてしまう。