一日は長し、一生は短し

2010.10.07

谷中

 先日、営業所のある上野に行った折、東京駅に向かおうと山手線に乗ったところ、勘違いで内回り(池袋方面)に乗ってしまった。

 何度も利用している駅なので、勘違いするなんてあり得ないのだが、間違いついでに前から行ってみたいと思っていた谷中に行くこととし、日暮里まで向かった。

 谷中は、東京の下町であると同時に、古くからの霊園としても有名で、著名人の墓が数多く建っている。しかし、僕の目的地は、下町散策でも霊園巡りでもなく、尊敬する偉人「山岡鉄舟」が開いた臨済宗「全生庵」を訪問することだった。

 日暮里駅の南口を出て、石段を上がっていくと「天王寺」というお寺があって、その先に広がるのが谷中霊園だ。桜並木で有名なメインストリートがあり、その左右に大きな墓石がいくつも建っている。

 そのメインストリートを歩いている途中、「徳川慶喜候の墓」という標識に誘われて、その墓前に手を合わせた。大政奉還という形で政権返上し、江戸幕府二百余年の歴史に幕を閉じた最後の将軍の心中は如何に・・・。

 人間の出処進退の中で、退くという判断が一番難しいと言われるが、会社の社長を辞めることとはちょっと訳が違うこの大業を、どんな気持ちで成したのだろうと、そんなことを想いながら手を合わせた。

 さて、谷中霊園を抜けて、古い町並みを少し歩いていくと、目的地の全生庵がある。門をくぐると、すぐ目の前に本堂があり、本堂の裏の墓地に鉄舟の墓が建っている。

 江戸城無血開城の陰の立役者であり、将軍を最後まで守った男。それが「山岡鉄舟」だ。江戸総攻撃の為、進軍してくる約5万の新政府軍に単身乗り込み、その総大将「西郷隆盛」に直談判して江戸が戦場になる事を回避し、最後の将軍の命を救った男だ。

 「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬといったような始末に困る男」と西郷隆盛に言わせた、剣と禅と書の達人、無欲と義の男、それが山岡鉄舟だ。

 残念ながら時間が遅くて、全生庵の本堂の中には入れなかったが、少しは心が洗われたように思う。帰りは無事、山手線の外回りに乗車し(笑)、上野公園にある西郷どんの銅像を車窓越しに眺めながら帰った。この狭いエリアに西郷像、鉄舟の寺、慶喜候の墓があることの因縁を想像しながら。

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