一日は長し、一生は短し

2011.08.09

必要不急・・・?

 梅雨が明け、本格的な夏になったにも拘らず、毎日どんよりして蒸し暑い日が続く。時々、スコールなのか、最近言われるゲリラ豪雨なのか、バケツをひっくり返したような大粒の雨が、突然のことで傘に守られていない全身を叩きつける。

 まあ、僕はびしょ濡れになるのは平気だが、自転車に乗った親子を見ると本当にかわいそうになる。どうしていいかわからず、自転車の後部座席にしがみついて、容赦なく降りかかるシャワーに目をつむって耐えている幼い子。突然の難から何とか逃れようと必死に自転車のペダルをこぐ母親。

 何とか助けてあげたいけれど、何もできない自分に腹立ちながら、自然の力の大きさと無情を痛感する今日この頃である。

 先日、ある大手法人さんの要職の方とお話をする機会があり、その方から大変いい話を聴かせていただいた。日頃、僕も思っていたことだけに、それを裏付ける話で大変嬉しかった。

 その法人さんの経営する店舗が、今回の被災地にも何軒かあり、その再開に向けて何度か足を運んだ時に感じたのは、パチンコが社会から必要とされるのは、平常時ではなく非常時ではないかということだそうだ。つまり、この度の震災で、失意のどん底から復興を目指して社会が動いて行く時こそ、真に必要とされる産業ではないかということである。
 
 そりゃ震災が発生して、地域社会が混乱している状況の中、何にも優先してパチンコというのは社会の非難を浴びるだろうし、それを良しと考えている訳ではない。

 しかし、被災した地域が少しずつ落ち着きを取り戻し、復旧復興に向けて動き出し、肉体的にも精神的にもヘトヘトになった人たちの、体や気持ちを癒すことができるもの。それが娯楽なのではないだろうか。

 僕はどんなことでもバランスが大切だと思っていて、厳しさと共に優しさが必要だろうし、一生懸命仕事をすれば、息を抜くことも必要だ。だからこそ、今、被災地域が辛さと苦しさに耐えながらも、復興に向けて汗をかいている時に、ちょっと息抜きしてもらうのに必要なのが娯楽。その娯楽のひとつがパチンコなのではなかろうか。

 不要不急だと業界に対する否定的な意見もあるが、そういう中からでも正しい指摘には真摯に耳を傾けながら、我々の社会的使命を今一度しっかり認識することが大切なのかな。

ページTOPへ