一日は長し、一生は短し

2011.12.09

日が暮れて

 昨日、三女の小学校で保護者面談があり、女房が嬉しい話を聞いてきた。なんでも、同じクラスに不登校がちな女の子がいたそうで、面倒見のいいことが長所である我が家の娘は、その子の不登校からの脱却の機会を作って、今は元気に通学しているとのこと。

 相手方のお母様も大変喜んでいるそうで、そういう話を聴くと僕は涙がちょちょぎれて、時間にルーズだとか、片づけができないとか、そんなことはどうでもよくなり、娘をしっかり褒めてあげたい。(僕に似てできない訳だから、余計に言い難いのだが...)

 困っている人を助ける。当たり前のことだけれど、これがなかなかできない。特に道徳心の欠如が言われる今のご時世、見てみぬフリをする人が多い世の中、そういう行為は異質と映るかもしれない。

 先日、旧知の料理屋さんに久しぶりに寄ってみた。その日はまあまあの来客があったが、ここ数年、こういう日は稀で、閑古鳥が鳴いている日が殆どだと言う。

 お客様に、美味しいものを手頃な値段で食べていただくという当たり前のことをやっているのに、不況で接待が減ったり、味や質より価格の安さを売りにした外食店にやられたり、大将自身はともかく、若い板場さんたちの将来が心配だという。

 確かに、苦労しながら料理の腕を磨いても、その力を発揮する機会や場所がどんどん減っていっては、心配になるのは当たり前だし、そういう道を目指す人が減って、本物の職人さんがいなくなってしまうことも危惧される。

 自由な社会というのは、反面、競争があるのは仕方がないが、本物が減っていくというのは社会の損失でもある。本物の火が消えない、道徳心の火が大きくなるような世の中になってほしいものである。

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