一日は長し、一生は短し

2012.01.30

今年の抱負

 新年を迎え、今年の抱負を語ろうと思いながら、なかなか筆が進まず、既に1ヶ月が過ぎようとしている。

 毎年、個人的にお世話になったり、お付き合いいただいている方々に年賀状を送っているが、中には何十年も会っていない方がいて、その一人である小学校3年生の時に担任してもらった先生からの返信が、その身内の方のお名前で送られてきた。

 それを読むと、先生は昨年のクリスマスに急逝されたそうで、卒業して何年か後、画家であった先生が出展した展覧会に招待されて以来お会いしていないので、その報を受けても先生の元気な姿しか思い出されない。

 今なら社会的な問題になりそうだが、僕がお世話になった当時、悪さをした生徒には、げんこつに握った拳をその子のこめかみに当て、ゴリゴリ回すというのが、先生お得意の「電気洗濯機」という罰であった。

 当時の電気洗濯機は、今のものとは少々違い、洗いと脱水が別になっていて、このゴリゴリは脱水槽をイメージした体罰だと思う。(ちょっと古いね)

 ゴリゴリされながら上に持ち上げられるので、僕らは皆、その恐怖に慄いていたが、今思えば懐かしくもいい思い出であり、先生の愛情を感じる罰であった。

 何事にも消極的で、恥ずかしがり家の僕の絵の才能を引っ張り出してくれたのも先生だし、学級委員に立候補させ、自信をつけさせてくれたのも先生だった。

 その後、僕は小学校を卒業し(つまり先生から卒業し)、中学・高校へと進み、絵も勉強も先生の期待に反し、段々落ちぶれてしまい、未だに開花せずという状況ではあるが、今回、先生の訃報を受けて改めて思い返してみると、先生に対する感謝の気持ちが溢れて止まない。

 親子の関係もそうだし、会社の上司と部下の関係もそうだし、何事もリアルタイムでは気付かないことが多い。本当の感謝の気持ちは、随分時間が経ってから、漸くわかってくるものなんだろう。

 室生犀星の有名な詩で「ふるさとは遠きにありて思うもの」というものがあるが、心のふるさとも時間という距離を置いて、漸くわかるものなんだろう。

 あっ、本題の今年の抱負であるが、う~む・・・今までお世話になった方たちへの感謝の気持ちを忘れず、小さくはあるが自分の能力のつぼみが腐らないうちに(笑)、開花させられる一年にしたい、そんなところで行こうと思う。

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