一日は長し、一生は短し

2012.08.27

永遠の0(ゼロ)

 毎年8月の週末は、去り行く夏を惜しんで子供たちとプールでも・・・
といきたいところだが、溜まった宿題を前に、最後の追い込みの助っ人として慌しく過ごすことが恒例だ。

 同じ過ちは繰り返してはいけない、ということは本人達も解っているのか、夏休みの前半は計画通り順調に進んでいるように見えた。

 ところが、そういう状態は長くは続かず、遊びを優先して先送りした計画がどんどん溜まり、気がついたら時既に遅し。一人ではどうしようもない状態で「お助け!」の声が掛かる。

 馬鹿だの、カバだのと吠えまくりながらも、頼まれたら断らない(断れない?)のが信条で、我が家では「図画工作の神様」と崇められている僕としては、作業に取り組んでいるうちにどんどんのめり込んでいく。

 最後は殆ど自己満足で完成させているような気もするが、子供たちからの羨望の眼差しは気分のいいものだし、学校へ提出して先生やクラスメイトから感嘆の声が上がったという報告を受けると、自分が褒められているようで気分は悪くない(笑)。

 さて、今回紹介する本は、「永遠の0(ゼロ)」(講談社文庫)で、著者は百田尚樹氏。僕は日本橋の丸善が好きなのだが、たまたまふらりと立ち寄った時にタイトルが気になって手に取った。著者の百田氏は僕よりひとつ年長で、出身大学が同じだった。

 帯を見ると、近日映画化されるということで、分厚い文庫本(文庫は文字が小さく読み辛いので、新書か単行本を探したが無かった)ではあったが、同窓の作家の応援という気持ちもあって購入した。

 ゼロは「零戦」のことを意味し、ある戦闘機乗りの孫が、若くして特攻で亡くなった自分の祖父のことを知ろうと、存命する当時の仲間を訪ね歩くという話である。

 戦闘や特攻ということに関わってきた人々の口を通して、祖父という人間を明らかにしていくと同時に、太平洋戦争とは一体何だったのか、真の勇気とは何なのかを、孫が考えながら明確にしていく。

 この本を読んでいくうちに、祖父の事を調べていく孫が自分に乗り移り(恐らく多くの読者は同じ気持ちになるのでは)、僕はパソコンを開いて、レイテだ、ラバウルだ、ガダルカナルだと調べながらの読書となった。

 ここに登場する零戦パイロットの宮部氏(祖父)は、腕利きの戦闘機乗りでありながら、臆病者と言われるほど命を大切にし、生き残る為に特攻を拒否しながらも、最後は敵である米艦船に突っ込んで命を落として行く。

 ちょうど今は8月。戦後60数年を経て、日本は今のところ平和を享受しているが、アラブ諸国での悲惨な話を聞かない日はないし、日本を取り巻く領土問題では、未だかつてない緊張感が立ち込めている。

 問題を解決するために、人が持つべき真の勇気とは? それを考えさせられる至極の一冊だと思う。

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