一日は長し、一生は短し

2012.11.26

子どもの宇宙

 先日、4年に1度開催される我が母校(高校)の同窓会に出席した。卒業してから何度目の同窓会かはわからないが、オリンピックイヤーの11月に、もう何度も開催されてきた。

 早いもので、卒業してから37年の年月が過ぎ、人生の第4コーナー手前の直線を走っている頃だろうが、光陰矢のごとしをしみじみ感じる今日この頃である。

 僕が学んだ学校は、中高一貫の男子校だったので、同窓会も時間が経つにつれ話題も次第に下品になる。最初は仕事や家庭の話をしていても、アルコールの量と共に、その話題は人生の歴史を遡り、最後は・・・ちょいとここには書けない話で盛り上がる。

 「永野って、不良だったよな。」って聞かれて、確かに自分は悪いこともいっぱいやったし、授業なんてまったく聴いていないし、嫌いな先生の試験は白紙で出すわで、不良かどうかはわからないが、真面目な生徒ではなかったと思う。

 でも、文化祭となれば、率先してプランを練って、学校さぼって材料の買い出しに行き、学校の床板をひっぺ返して穴を開け、そこに水を流して金魚を入れて・・・、これ以上は僕の人間性を問われるのでやめておこう。

 つまり、勉強はしなかったし、先生には反抗的ではあったが、夢のあることには積極的にチャレンジしていた。

 それが、人生の経過と共に普通になっていき、三十数年前のあの当時、こんな風にはなりたくない!と思っていたのが、今の自分の姿か・・・。

 嗚呼、悲しいかな、悲しいかな・・・なんて言っていられないので、毎日一生懸命仕事に励んでいるのだが、常識を超えて偉大になる可能性を秘めた子どもたちの成長を阻害しているものは何なのか、子どもがそのように成長して行くために親はどう接すればいいのか、それを明快に説いているのが、河合隼雄著「子どもの宇宙」(岩波新書)である。

 この本の中で言う「宇宙」とは、星が輝いている無限の空間ではなく、子どもの心の中に存在する、多種多様な考え方や物事の捉え方、そこから生み出される宇宙のような無限の可能性のことである。

 子どもたちが持つその宇宙を、大人たちは「教育」だとか「善意」だという自分たちの価値観を押し付けて、歪曲したり潰してしまったりしているのではないだろうか。

 河合先生は、そう問題提起した上で、臨床心理学者として自身が関わった子どもたちの事や、いくつかの国内外の詩や小説や映画の話を例に上げ、わかりやすく説明している。

 最近、いじめによる中高生の自殺が多く、深刻な社会問題として取り上げられる事が多いが、加害者に対する「指導」や被害者に対する「聴取」という方法だけでは絶対に解決しない。

 つまり、大人の考える「普通なら〇〇だろう」という考えが前提にあっては、いじめ問題は絶対に解決しないと、河合先生が生きていれば言うのではなかろうか。

 子どもたちが大人に期待していることは何なのか、もう一度、自分たちが彼らと同じ立場に立って、問題の本質を考えてみることが必要だと思う。

 それにしても我が家の長女は、やることなすこと高校時代の自分そっくりで・・・。自分の過ちを繰り返さないよう、高校生の頃の自分に返って、家の床をひっぺ返して、水入れて、金魚でも飼いながら話し相手になれば、彼女の持つ宇宙空間はもっともっと広がっていくのであろうか。

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