一日は長し、一生は短し

2012.12.10

学ぶ

 このところ、めっきり寒くなり、本格的な冬の訪れを感じる。木枯らしなのか、ピューピューと時々強い風も吹く。

 親父の誕生日のプレゼントを買いに、久しぶりに「駅前アルプス」に出向く。昔と違って、山登りのスタイルもファッショナブルになり、店内にチラホラ若い女性の姿も見かける。

 登山用品といっても、三浦雄一郎氏の如く、80過ぎて登山やスキーをやる訳ではないので、プレゼントとして日課の散歩時に着用する暖かい下着を贈ろうとの考えだ。

 あんなに恐かった親父も歳を取り、短気なところもすっかり影を潜めたが、毎日会社に来るだけで、社内の空気はピリッと変わる。

 佐藤一斎は「重職心得箇条」の最初に、「重職と申すは、家國の大事を取り計うべき職にて、此の重の字を取り失い、軽々しきはあしく候」と記している。

 重職たるものの心構えとして、そういう姿勢が一番大切だと言われているのだが、そういう点では自分はまだまだ未完成だと反省する。

 さて、先週、久しぶりに経営セミナーなるものを受講した。大学の先輩の声掛けによる参加であったが、ここ何年も読書以外に勉強らしい勉強をしていないので、講師の話を楽しみに参加した。

 休憩を挟んで4時間弱のセミナーであったが、先生の話の面白さもさることながら、自分なりに勉強してきた事が間違っていないことに確信を持てたことは、大いに有意義であった。

 今から遡ること2500年前、孔子が弟子に伝えてきた事が、歴史と共にいろいろ形を変え、思想や学問として今に至るが、その本質は未だに変わらない。

 前述の「重職心得箇条」も本質は「論語」と同じだ。というより、「論語」の精神を受け継いだ内容だ。つまり正しい考え方は何年経っても変わらないということだ。
そういう意味では、読み継がれてきた本に学び、これを何度も何度も繰り返し、噛み砕いて読むことで自分のものにする。そういう姿勢が大切かな。

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