一日は長し、一生は短し

2013.02.13

パチンコの役割

 去年の8月から始めたランニングは、この冬の寒さで回数は減っているものの、「趣味は走ることです!」と言える最低限度は何とか続けている。

 僕にとってのこの義務を果たすため、走ると決めた日は、当然、夕食時のアルコールは抜くこととなる。(もっとも、この年齢で、飲んだ後に走るのはあまりにも危険だが。)

 しかし、不思議なもので、お酒を控える日が続くと、走らない日であっても飲まずにいられるようになる。無くても平気でいられるのだ。

 では、お酒がもう不要なのかというと、決してそうではない。友人や社員とのコミュニケーションを盛り上げる為の潤活剤であったり、(当の昔の話ではあるが)好きな女性に愛を告白する時に、勇気を奮い立たせる精神安定剤だったりする(笑)。

 つまり、お酒が必要とされる理由は、状況に応じて変わるし、年齢と共に変化していく。マクロで見れば、世の人々にとって必要とされる理由は、環境に応じて変わるし、時代の変遷と共に大きな波で変化していくと考えられる。

 現代では、お酒が、人を酔わす為に必要な存在から、楽しいひとときをより楽しく演出する為に必要な存在に変わった(拡がった)ということだ。

 しかしながら、よく考えてみると、必要とされる理由は時代と共に変わるものの、それは表面的な問題であって、大事なのは、本質的な理由は変わっていないということだ。
 お酒の有り様は変わっても、人の生活や人生を、より良いものにする為に存在するということは変わっていないということである。

 さて、お酒はそうとしてパチンコはどうなのだろう。
 半世紀以上前のパチンコの黎明期、焦土と化した日本でそれが根付いていったのは、庶民の娯楽として生活に張りをもたらす為に必要とされたのだろう。

 その後の高度経済成長下では、猛烈に働くお父さんたちの息抜きの場として、必要とされたこともあるだろう。

 そして、パチンコ産業は、大衆娯楽として着実に成長し、一時は3000万人とも言われるファンに支持されることとなった。

 ところが、この10年間でファンを徐々に減らし、今や1260万人まで激減したという事が、昨年報告されたばかりである。

 この事実は、我々に重い課題を投げていると思う。つまり、人の生活をより良くしていくためにパチンコは何を提供していかなくてはならないのか、という課題だ。

 そこで当社の挑戦が始まる。物質的に満たされた社会の中で、ニーズが多様化するのは当然のことであり、パチンコ機ももっと多種多様であっていいのではなかろうか。

 パチンコ機だけではなく、パチンコパーラーも、もっと営業形態が多種多様であってもいいのではなかろうか。例えば、甘デジを主体とした機種構成で、気軽に遊べるようなお店があってもいいのではなかろうか。

 そんなことをあれこれ想像しながら、この度の新製品「CRセクシーフォール」で、性格の異なる甘デジを2タイプ発表することとした。

 短期的にはなかなか結果は出ないかもしれないが、パチンコをもっと身近な娯楽として親しんでもらい、人々の人生をより豊かにするための一助として貢献できるよう、今後も継続的に商品という形で提案していきたいと思う。

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