一日は長し、一生は短し

2013.04.22

森信三小伝

 3月の異様な陽気で、今年の桜は例年になく早かったが、ここ数日は朝夕肌寒く感じる日が続く。

 新年度ということで、我が家の子どもたちも世間の子どもたち同様、新しい学年を迎えて一喜一憂している。

 担任される先生が期待通りだったり違ったり、親しい友人と一緒だったり離れたりで、良いこともあればそうでないこともある。

 いくつになっても、世の中、すべて同じだなと思えて、心の中で笑ってしまった。「世の中、両方良いことはない。」 前回ご紹介した森信三先生の言葉だ。

 子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、今の状況や境遇を恨むこともあるだろうが、そういうことに不平不満を持つだけでは、何の打開もできないし、不思議なことに事をさらに悪化させる。

 子どもにそう解釈しろと言っても難しいだろうが、そういう境遇に置かれたことは天命と思って、その中で全力を出し切ることが大切ではなかろうか。そう考えて一生懸命やっていれば、これも不思議だが、徐々に活路が見えてくる。

 さて、今回ご紹介する本は、前回取り上げた森信三先生の伝記、寺田一清氏編著の「森信三小伝」(致知出版社)である。森信三先生が、戦前は師範学校で、戦後は大学の教育学部で教鞭を執り、日本の教育界に大きな影響を与えた哲学者だということは前回ご紹介した。

 本著は、20世紀最後の哲学者とも称される森信三先生の生い立ちから、愛知県半田市で過ごした幼少の日々、そして苦労しながら勉学に打ち込んだ青春時代、赴任先の満州から終戦直後、生死をさまようような状況の中で帰国した話、その後の先生の97歳で大往生されるまでの功績が、氏の言葉と共に書かれている。

 先生は退官までは神戸大学で、退官後は神戸海星女子大学で長年教壇に立たれたが、その講義は「つねに天上と地上、原理と実践の両極を押さえる」ことを念頭にされたそうで、それを表すいくつかの言葉を紹介したい。

「眼(まなこ)は広く世界史の流れをとらえながら、しかも足下の紙屑を拾うという実践をおろそかにしてはならない。」

「教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事だが、しかし、あたかも岩壁にのみで刻みつけるほどの真剣さで取り組まねばならない。」

「教師がおのれ自身、あかあかと生命の火を燃やさずして、どうして生徒の心に点火できるのか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事だ。」

『教師』を『社長』や『リーダー』と読み替えてみると、どれも自分の心を突き刺すような言葉に感じないだろうか。

 耐え難いような人生経験を積み、常に言行一致を実践してきた森信三先生ならではの説得力溢れる言葉である。

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