一日は長し、一生は短し

2013.06.13

父の日

 入梅したものの、今日まで雨は殆ど降らず、真夏の暑さが続いている。異常気象と言われて久しいが、今年もそんな様相を呈している。

 思い返せば二十数年前の7月、山登りで上高地から横尾に入っていた時のこと。梅雨最後の集中豪雨で、先の沢に掛かっている橋が流れてしまい、仕方なく引き返した経験がある。

 その橋は定期的に架け替えてはいるものの、雨で流されたのは初めてだそうで、ここ数年、毎年発生する集中豪雨と同じような猛烈な雨だったのだと思う。局地的な集中豪雨は、当時から、或いはその前からジワジワ始まっていたのかもしれない。

 さて、今度の日曜日は父の日。僕は4人の子の父親だが、自分の父も健在だ。当年83歳で、会社へも毎日出勤する。

 この父の部屋に、北村西望氏の「若き日の母」というブロンズの置物が飾ってある。

 ずっと前から飾ってあり、そういう類の美術品に興味がない自分は、今まで気にも留めなかったが、改めてじっと見つめてみると、何故父がこのブロンズ像を置いているのか、何となくわかる気がした。

 父は10代半ばで、母を病気で亡くしている。父親を先に亡くしているので、それ以降、弟二人の面倒を親代わりでみていくこととなる。

 時代は戦後の混乱期。地方へ買出しに行き、それを闇市で売る。その僅かな売上代金が生活の糧でもあり、次の仕入れの原資でもある。

 僕が30代の頃、時々父を車に乗せて時々ゴルフに行ったが、三重県のあるみかん農家の前を通った時、「昔はこの辺りまで仕入れにきたなあ・・・。」としんみり語ることがあった。

 生きるために、二人の弟の生活を支えるために、父は貴重な青春時代を何年か、そういう風に過ごしたのだと思う。

 その後、苦労しながら、また人に助けられながら今に至る訳だが、何があっても挫けず、努力を怠ることがなかったのは、心のどこかにいつも亡き母(僕の祖母)が居て、父を励ましていたからではないかと思う。

 「若き日の母」に、父はきっと若くして亡くなった自分の母を重ねてきたのでは。じっと見つめたブロンズの置物にそれを感じた。

 そんな僕の父も、今年は84歳になる。むっつり顔の父ではあるが、心の底から笑えるような、そんな嬉しいプレゼントをいつかできればと思う。

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