2050年の日本
ハナ肇とクレージーキャッツの「スーダラ節」の中に、「わかっちゃいるけどやめられねえ」という歌詞があります。
莫大な資金を投入して準備してきたオリンピックを、コロナ禍の中で開催に踏み切るのはそんな感じなのでしょうか?
当社に置き換えると、莫大な開発費を投入してしまった以上、「わかっちゃいるけどやめられねえ」になりますかね。
楽観バイアスって言うのでしょうか。同時に失敗リスクも天秤に掛けながら、よく考えて決断しないといけませんね。
さて、先日、会社帰りに本屋さんに寄った折、田辺聖子さんの18歳の時の日記が掲載されているの見て、大作家の青春時代を覗き見したく「文藝春秋7月号」を購入しました。
実は、その日記はまだ読んでいないのですが、人口減少対策総合研究所理事長の河合雅司さんが書かれている「ポストコロナの未来年表」が面白いので紹介します。
これは新聞にも出ていますが、先進国の中で所得が何年も伸びていないのは日本だけだそうです。
所得が伸びないから、物価は上げられないし、育児・教育の費用を考えると子も産めないということです。
この結果、人口減少を止めることはできず、労働人口を補うのに外国人に頼ろうにも、彼らが期待する収入の見込めない日本には来ないだろうという見方です。
このまま、過去の成功体験にとらわれ拡大路線を続けても、国家の縮小は止められないので、すべての分野で日本は衰退すると述べられています。
但し、但し、そんな日本でもやりようによっては活路は見い出せる。それは・・・。
この辺で止めておきますので、続きは是非本書をご購入下さい。(って、別に文藝春秋さんから宣伝頼まれている訳ではありません、笑)