一日は長し、一生は短し

2021.07.13

会社の履歴書③

梅雨後半の局地的な豪雨による土砂災害や浸水被害に遭われた皆様に、衷心よりお見舞い申し上げます。

特別警報等による避難指示をラジオで聞いていると、宮崎や鹿児島では対象エリアの同一世帯の平均居住者が二人を切っていて驚きました。
それだけ一人住まいのご高齢者が多いということでしょうか。

さて、当社が設立された同年4月、現在の日工組の前身である日本遊技機工業協同組合(現在は日本遊技機工業組合)が設立されました。
当初の加盟組合員は60社だったそうで、当社もその一員でした。

昭和30年代後半から40年代にかけて、全メーカーが出展したパチンコ機の展示会が東京・大阪・名古屋で相次いで開催されたようで、当社も写真のような機械(昭和40年代製造)を出展していたことと思います。

maruto.jpg

当時、当社のパチンコ機は「マルト号」というブランド名を付けていて、社名とブランドを変えるという小洒落たことをやっていたようです(笑)。

ところで、その頃の私は家の近所の米野小学校に通学していましたが、通学路は土の歩道で、よく犬のう〇ちが転がっていて、時々踏んづけてしまいました。
学校から帰宅して、母に靴を洗ってもらったことを思い出します。(ごめんなさい・・・)

小学生の頃は近所の公園でよく野球をしていましたが、隣の神社に打ち込んだボールを拾いに、塀を乗り越え社務所の庭に忍び込みました。
その社務所にはおじいさんが住んでいて、見つかるとほうきを持って追い掛けられましたが、素早く塀を乗り越え逃げ帰りました。(ごめんなさい・・・)

まあ、そんな小学生でしたが、児童会の会長に選んでもらったり、天才クイズというローカルなクイズ番組にも出演させてもらったりしていたので、きっとちゃんとした子供だったのでしょう(笑)。

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