一日は長し、一生は短し

2021.08.10

会社の履歴書④

近年は中学受験する家庭が増えてきましたが、私が小学生の頃、私学を受験する人は稀でした。

私が進学した東海中学という学校は、歴史ある中高一貫教育の地元の名門校でしたが、「東海」という名前から海の近くにある学校を想像していました。

その程度の受験生でしたので、運よく合格しただけで勉強には精が出ず、部活と遊びを優先して6年間を過ごしました。

中高を通しての一番の思い出は、仲間と何度も行った夜行電車での信州へのスキー旅行です。

当時はスキーバスがなく、夜行電車でスキー場に向かいましたが、電車のイスは直角で座ったままでは寝心地が悪かったので、通路に重なるようにして寝ていました。
かなり窮屈な格好を強いられましたが、それでも寝られたのは若い証ですね(笑)。

特に12月24日発の夜行電車は人気があって混雑するので、名古屋駅で早い時間から並んで順番を待たなければなりませんでした。
ただ、そこで何時間もじっと待っているのは退屈なので、荷物を置いて友人と名古屋駅の繁華街をウロウロしていましたが、当時のパチンコ店では雀球やアレンジボールに人気がありました。

雀球は今と違ってアナログ式になっていて、入賞口に玉が入ると、裏返っている牌の札がパタッと表に向いて、そこに玉が3個入れば役が揃うというシステムだったように思います。
今あれば打ってみたいと思うような、なかなか味のある機械でした。

1973年には、当社も含め各社から電動式ハンドルの機械が登場しますが、これがきっかけで女性ユーザーが増えたそうです。確かに手打ちで玉をはじくのは、指の力が要りますからね。

その頃は、パチンコ機にイノベーションが起こった時代なのか、その後テレビの付いた機械も登場しますが、とても画期的な試みだと思うのに何故広まらなかったのでしょうね?

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