一日は長し、一生は短し

2021.10.19

会社の履歴書⑥ーおまけ

パチンコ機の歴史は、SANKYO様から1980年に登場した「フィーバー」なしには語れないと思います。

ドラムの図柄が揃えば、アタッカー(大入賞口)が開き放しというゲーム性を搭載した機械が第一号。

その後、各社が追随しましたが、当社が開発したのが「バックファイヤー」です。

デジタルの数字が「88」で揃い、且つ黄色のランプで停止すれば大当りという機械ですが、他社様とは違うことをやるという「ひねくれ気質」はこの頃からあったのかもしれません(笑)。

さて、当時、機械の販売に当たっては、都道府県公安委員会ごとに検査を受けて許可を得ていました。

そのため、都道府県によっては販売が認められなかったり、機械に性能差があったりしたようです。

ところで、所謂フィーバータイプについては、その射幸性の高さ故、登場以降、何度か規制を受けることとなります。

店舗への設置率の上限であったり、アタッカーの開放秒数の制限であったり、そして今に至る10カウント規制(一度の開放中、入賞は最大10個)となります。

また、フィーバー機の登場以降、パチンコ機へのIC搭載は当たり前となり、電気的な検査が必要となりました。

それを各都道府県公安委員会ごとに実施するのは難しいため、1985年にパチンコ機の型式試験を保安電子通信技術協会(現保安通信協会 保通協)に委託することとなります。

こうして、メーカーが開発したパチンコ・パチスロ機は保通協で試験を受け、適合すればその結果書を各都道府県公安委員会に検定申請し、承認されれば当該機械を設置する店舗様が所轄の警察署に届け出て、検査を受けた後、漸く開店という現在の流れができました。

すや写真.jpg▲ビッグドン

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