一日は長し、一生は短し

2022.01.21

会社の履歴書⑨

駐車場の車止めに気付かず、左足の外側を引っかけてしまい、柔道の足払いを受けたように吹っ飛んでしまいました。

踏ん張って倒れまいと思ったものの、地に足は着いておらず、宙に浮いて左肩からアスファルトに落ちてしまいました。

左肩と左膝の打撲に加え、受け身のように出した手のひらは擦り傷だらけ。何本かの指が痛くて、パソコンのキーボード操作は一本指打法です(笑)。

さて、1996年と言えば私が結婚した年ですが、この頃から当社の躍進が始まります。

まず、同年に登場したのが、「CR竜王伝説」と「ナナシー」です。

特に「ナナシー」は、ピカイチ天国の残部材となってしまった液晶ユニットを有効活用して開発した製品で、いろいろな意味で当社の救世主となりました。

当初の企画立ち上げ時には、「ナナシー」の6図柄に対し「当たりにくく感じるのでは?」と社内で反対意見がありましたが、10万台を超えるヒット機種になりました。

また、この時代はパチンコ攻略雑誌が各種発売されていて、ヒットの陰にはその後押しがあったことは間違いありません。特にパチプロの故田山氏には感謝するばかりです。

その後、業界初の3D液晶を搭載した「CRカンカン天国」や、大当たり継続5回リミット規制にも拘わらず、演出力で人気を博した「CRモーレツ原始人」が登場しました。

手前みそになりますが、予告演出等当時の当社の演出は、現在のパチンコの演出に繋がるものがいくつかあるように思います。

販売台数の増加と共に社員数も徐々に増えてきて、本社工場の増改築を実施したのもこの頃です。

そして2000年には、業界をあっと言わせた「CRデンデンデン」が登場します。「玉が出ん出ん出ん」と揶揄されましたが(笑)、業界初のポリゴン搭載機で、とても話題になったように思います。

いずれにしても、当時は自由闊達な職場環境の下、若い社員も多く会社全体に元気がありました。私も若く、失敗を恐れず(何も考えていなかっただけかもしれませんが)、公私ともにいろいろなことに挑戦していました。

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▲ナナシーと故田山プロ

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